旧雄勝線電車車両保存庫

雄勝線は昭和3年から昭和48年まで、羽後~湯沢間の輸送・交通機関として住民から親しまれてきました。
当時の西馬音内駅~梺駅の沿線であった元西地区の県道57号線沿いには、開業当初から晩年まで雄勝線で活躍した木造電動客車『デハ3』の車両保存庫があります。
見学を希望される方は羽後町みらい産業交流課(0183-62-2111 内線223~225)希望日の3日前までにご連絡ください。3日前までにご連絡いただいた場合でも、土・日・祝日等は、対応出来ない場合がありますのでご了承ください。

見学時間:9001700(積雪期は見学できない場合があります。)
所 在 地 :秋田県雄勝郡羽後町西馬音内堀回字上石地蔵10-3
アクセス:
路線バス・・・羽後交通 西馬音内線 西馬音内堀回バス停で下車後、橋を渡った川の反対側
車・タクシー・・・湯沢I.Cから国道398号線を羽後町方面へ7km、大戸交差点を県道57号線へ直進して3.4km(道路沿い左手にある案内看板が目印)
【アクセスマップ】

でんしゃ
                      保存されている『デハ3』
 外観 看板
        車両保存庫                       案内看板

旧雄勝線とは

 昭和3(1928)から昭和48(1973)にかけて、羽後町と湯沢市を結んでいた電気鉄道路線です。

 米などの主要な農産物を、奥羽本線がとおる湯沢駅を通じて県内外に運ぶことを目的に、『雄勝鉄道株式会社』によって西馬音内駅―湯沢駅の8.9kmの区間で営業が始められました。(昭和3(1928)81)

 開業以来苦しい経営が続いて、昭和8(1933)8月には電気料金滞納により送電がストップされる事態にもなりました。そんな中でも昭和10(1935)2月には、西馬音内駅―梺駅の2.8kmの区間を延伸します。これにより、満州事変以降の軍需に対する木材(木炭・船舶用資材)の供給などによって経営を改善していきました。

 戦時下の昭和18(1943)10月には、横手駅から本荘方面へ延びる「横荘線(おうしょうせん)」に吸収されるかたちで合併、会社はその後『羽後鉄道株式会社』となりました。

 戦後は食糧不足による買い物客の需要や、復興需要での木材輸送により急激な増収を見せました。その一方で、昭和22(1947)72124日にかけて秋田県を襲った歴史的大雨とそれによる大規模洪水(昭和22年洪水)では、20ヶ所以上の橋梁が損壊して27日間の全線運休を余儀なくされ、完全復旧まで5カ月を要するなどの甚大な被害を受けました。

 旅客輸送量は戦後の混乱期を経て落ち着きを取り戻しましたが、高度経済成長へと進む好景気のなかで通勤・通学客は増加していきます。特に朝のラッシュ時には平時の単行では間に合わず、客車を2両牽引するほどでした。

 しかし、昭和30年代に入ると徐々に自動車が普及し始め、一転して鉄道事業の収益は下がっていきます。会社も昭和27(1952)2月に社名を『羽後交通株式会社』と改め、バス部門を大きく発展させる方針を進めていました。

 やがて利用客が少なくなったことから、昭和42(1967)121日をもって西馬音内―梺間の営業を廃止。昭和46(1971)7月には横荘線も全面廃止され、雄勝線の残る西馬音内―湯沢間も時を待たずして廃止される見込みでした。

 これに羽後町と湯沢市が待ったをかけます。
急な廃止により路線を利用する住民の足が失われることに反対の声が上がったためで、両市町からの補助金を受けながら、先に廃止となった横荘線からディーゼルカーを転入させて電車の運行を取りやめるという更なる合理化によって今しばらく運行を続けることになりました。

 そして、沿線の道路整備が完了するまでとの取り決めどおり、昭和48(1973)3月末をもって廃止が決定します。

 331日の最終営業日は全区間終日無料運行となり、最盛期の倍以上となる11万人もの乗客が別れを惜しんで乗車しました。そして、2030分、同線最後のサヨナラ列車が、花火が上がり「蛍の光」が流れるなか湯沢駅を出発。6両編成に超満員の乗客を乗せ、21時過ぎに西馬音内駅に到着すると、約半世紀にわたる雄勝線の歴史に幕が下りました。

 西馬音内駅車両基地 西馬音内駅踏切
西馬音内電車区(車両基地)                     西馬音内駅踏切
デハ5 デハ5・ホハフ2
            デハ5                ホハフ2(左)・デハ5(右)
     雄勝線西馬音内駅近郊の風景(昭和45年11月22日撮影 写真:竹中洋一)

『デハ3』とは

 雄勝線開通に合わせて昭和2(1927)3両が新造された、木造の四輪三等電動客車「デハ1型」のうちの1両。蒲田車輛製造株式会社製。

 「デ」は電動車、「ハ」は3等車(イロハのハ)であることを意味しています。

 デハ1型には他にデハ1とデハ2があり、当初荷物合造車として造られた「デハニ3(荷物車の「ニ」)が、のちに荷物室を撤去改修されて「デハ3」となりました。この改修時に外形はそのまま維持されたため、横の窓が1つ塞がれているという特徴が残されています。

 開業当初から主力として活躍し、戦後に第一線を退いた後も、車両の構内入換用などに使用されました。特に積雪期においては、空転しにくいという長所から除雪列車の推進用として大変重宝されたそうです。

 デハ3
       西馬音内電車区内のデハ3(昭和45年11月22日撮影 写真:竹中洋一)

車両の復元と保存

 デハ3は、路線廃止後は沿線の保育所へ譲渡され飾られていました。

 しかし、いつしか雨ざらしのまま放置されるようになり、風雪によって外部は傷み、内部もいつの間にか荒らされていました。

 そんな状況を見かねた地元住民と元運転手らが、昭和58(1983)に車両の保存のために立ち上がりました。

 失われた部品を骨董屋で探したり、どうしても手に入らないものは特注で製作したりするなどして、2カ月あまりをかけて懸命な復元作業が行われました。

 その結果、デハ3は「電気を流せば走り出す」と言われるほど元の状態を取り戻し、疑似的に造られたホームや駅名標とともに、町が建築した保存用の車庫の中で活躍した当時の様子を静かに伝えています。

 

参考資料:
若林宣『羽後交通雄勝線:追憶の西馬音内電車』(RM LIBRARY 52)、ネコ・パブリッシング、2003年。
寺田裕一『新 消えた轍3:ローカル私鉄廃線跡探訪 東北』ネコ・パブリッシング、2010年。
金沢二郎「羽後交通」『鉄道ピクトリアル』1965年7月臨時増刊号:私鉄車両めぐり6、p.20-29、鉄道図書刊行会、1965年。
佐々木精一・伊藤一己「羽後交通鉄道部全廃 雄勝鉄道全線廃止」『鉄道ファン』1973年7月号、p.104-105、交友社、1973年。

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