明治の時代 | ||
年号 | 西暦 | 事項 |
慶応4年 | 1868 | 4月 佐藤太三郎、柴田与之助、中島太治兵衛(山田)の3名が軍事御用金の蔵元を仰付られる。 柴田与之助が藩命により出府、庄内追討の御用金千両を上納。 前郷村の寄郷は院内に詰め、堀廻村の寄郷は、春は大沢に詰め、夏は田代に詰める 8月7日 仙台兵千人余が御陣屋を襲い郡方備米350石余を略奪。 8月8日 佐幕軍が嶋田新田村に宿営。 |
明治元年 | 1868 | 明治と改元一世一元の制を定める。 9月 18日杉宮吉祥院と田代妙音寺が兵火により焼失。 金札狂い等に付き、強訴のため山内村々より大勢繰出したが、親郷肝煎土田伊助、石垣耕作両人が取鎮めに努力す。 12月 出羽を羽前と羽後に分ける。 |
明治2年 | 1869 | 5月 藩籍奉還。佐竹義蕘が久保田藩知事となる。 御嶽山の石馬子が竣工・安置す。 6月 土田伊助が軍功により生涯二人扶持をたまわる。 凶作(平均五分作)。 |
明治3年 | 1870 | 諸藩の紙幣を発行停止。諸道の関所を廃止。 両部神道の禁止。 平民に苗字を許す。 杉宮吉祥院が廃寺。 梺御嶽山の両社が社名を改称(蔵王権現が御嶽神社、馬頭観音が駒形神社になる)。 2月5日 山内六ヶ村の百姓一揆(鵜巣船場を渡り角間川まで繰出す)担役渡辺敬吉の説諭により鎮撫。 |
明治4年 | 1871 | 戸籍法の発布。 廃藩置県で秋田県となる。 従来の肝煎を里正と改む。 (3月) 柴田与之助が藩知事の召命により出府、調達金3,500両を上納。 |
明治5年 | 1872 | 大小区制により雄勝郡は六大区となり、後に第十六、第十七大区と改む。 (2月) 人口調査、戸籍簿作製。大小区制により当地は第十七大区四小区となる。 (8月) 学制頒布。 |
明治6年 | 1873 | (7月) 川西三親郷を第七大区五小区と改む(五小区事務所を前郷村に置く)。全郡長旭熙、五小区戸長に飯塚彦四郎・石垣耕作・長谷山荘助、副戸長に矢野左衛門・長谷山源吾・藤原宇之吉。 |
明治7年 | 1874 | (2月) 西馬音内郵便局の開局。 (4月) 前郷村に西馬音内学校の開設(西馬音内字裏町宝泉寺本堂内)。 (8月) 山内六ヶ村が連合し、田代学校の開設(田代字麓伊東順益宅)。 |
明治8年 | 1875 | 柴田与之助等が湯沢製糸会社を設立。 西馬音内に警察分屯所を設置。 糠塚に地面測量伝習所を設置(西部伝習所)。 (7月) 杉宮学校の開設(同十四年杉宮小学校となる)。
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明治9年 | 1876 | 地租改正につき測量実施、雄勝郡の掛長・茂木亀六、各村に総代を置く。 西馬音内前郷村を西馬音内村と改める。 二条道村を廃し、床舞村に合併。 上・下郡山の名称を廃し、郡山村と称す。 嶋田新田村の支郷鵜巣を新町村に合併。 |
明治10年 | 1877 | (9月) 上・中・下の三仙道が合併し、仙道村となる(戸長・藤原宇之吉)。 (10月) コレラ流行、死者多数。 |
明治11年 | 1878 | (7月) 郡区町村編成法成立。 県で腐米改良の試験地として郡山を選定。試験諸費(800円)を給し、生産米は等級を附し、高額で県が買上げ、試験は翌12年から施行。 |
明治12年 | 1879 | (9月) 学制を廃し、教育令を制定。 大小区制の廃止。郡役所の設置。各村に戸長役場を設置。仙道組合村が変更し、上・下合併(戸長・藤原宇之吉) 中仙道(戸長・高橋金蔵) となる。 (11月) 警察分屯所は湯沢警察署西馬音内分署となる。 (12月) 足田学校の開設(高橋ベン宅)。 |
明治13年 | 1880 | (5月) 元城学校を開設(教員一、補助一)。 (11月) 教育令改正。町村に学務委員(公選)を置く。 |
明治14年 | 1881 | (9月) 明治天皇が東北地方を巡幸。 |
明治15年 | 1882 | (4月) 元城学校は西馬音内小学校元城分校となる。 上仙道、下仙道に田代小学校巡回授業所を開設。 (11月) 西馬音内小学校が西馬音内字本町13番地の御陣屋を修理し、移転する。 軽井沢除野に田代小学校巡回授業所を開設(阿部太郎吉宅)。 上到米に田代小学校巡回授業所を開設(遠山順吉宅)。 |
明治16年 | 1883 | 徴兵令改正。 組合戸長役場を設置。糠塚は西馬音内に、嶋田新田・高尾田は新町に、郡山・足田・大久保は郡山に、堀廻・飯沢は堀廻となる。 (4月) 仙道村で戸長の公選。 |
明治17年 | 1884 | 秋田県地誌取調係へ各村が「村誌原稿」を提出。 (5月) 新町小学校の開設。 西馬音内小学校飯沢分室を開設(飯沢字院ヶ台鈴木善蔵宅小屋)。 組合村変更、足田・郡山・糠塚・高尾田・嶋田新田を以て足田村外四ケ村戸長役場と称す。 |
明治18年 | 1885 | 教育令の改正、学校委員の廃止。 西馬音内蚕糸業組合を結成(七ヶ村の養蚕家)。 元城分校が独立、飯沢分室を合せて、西馬音内堀廻尋常小学校と称す。 (旧暦4月) 25日、大雪七寸程降り農作物に被害。 |
明治19年 | 1886 | (8月) 21日、大暴風で建物、立木に被害大。 田代・仙道・糠塚等にコレラ発生。 |
明治20年 | 1887 | (2月) 西馬音内登記所の設置(役場内に置き、戸長登記事務を取扱う)。 (4月) 下仙道簡易小学校の開設(楢崎)。 |
明治21年 | 1888 | (4月) 市制及び町村制の公布。 (8月) 所得調査委員の選定。 (9月) 飯沢村で郡長に「町村分合御免願」を提出。 (10月) 「町村区域之義ニ付請願書」を県知事へ提出。 雄勝郡連合八十三ヶ町村会議員の選挙(柴田与之助氏が当選)。 |
明治22年 | 1889 | (2月) 大日本帝国憲法発布。 秋田魁新報第一号の発刊。 (4月) 村々合併。 西馬音内・田沢・鹿内・大戸・床舞の五ヶ村が合併して西馬音内村。杉宮・貝沢・赤袴・大久保・野中の五ヶ村が合併して三輪村。足田・郡山・嶋田新田・高尾田・糠塚の五ヶ村が合併して新成村。新町・堀内・払体・林崎・水沢・大沢の六ヶ村が合併して明治村。西馬音内堀廻・飯沢の両村が合併して元西馬音内村。田代・上到来・軽井沢の三ヶ村が合併して田代村。上仙道・中仙道・下仙道の三ヶ村が合併して仙道村。 (9月) 地租代の米納を廃止。 |
明治23年 | 1890 | (7月) 第一回衆議院議員選挙。 (10月) 教育勅語発布。 (11月) 第一回帝国議会開会。 |
明治24年 | 1891 | (1月) 元西馬音内林「官林引直願」を知事へ提出。 (4月) 郡制施行。 |
明治25年 | 1892 | (5月) 西馬音内小学校(西馬音内尋常高等小学校)が校舎新築し、移転する。 |
明治26年 | 1893 | (11月) 田代郵便局が開局。 |
明治27年 | 1894 | (7月) 西馬音内に消防組結成。 (8月) 日清戦争が始まる。 25日、大洪水。元西、流失家屋43、流死人22、両陛下より小屋掛料、御見舞金をたまわる。新成村の大半が浸水、田畑六町七反荒地となる。 |
明治28年 | 1895 | (7月) 清国と講和条約調印。日清戦争戦没者10名(西馬音内2、三輪1、新成1、元西2、田代3、仙道1)。 (11月) 石川理紀之助等が秋田県農会を設立。 |
明治29年 | 1896 | (3月) 秋田県教育会の設立。 (7月) 飯沢川用水に関し、堀回・西馬音内・大戸・足田・糠塚・杉宮の六地区が契約書を取り交わす。 (旧暦7月) 23日、大地震。 |
明治30年 | 1897 | (5月) 西馬音内に柴田・飯塚機業合名会社設立。 (7月) 西馬音内村は町となる。 この年凶作(洪水・虫害)。 |
明治31年 | 1898 | 役場より「正月なし」の触れ出し。 (5月) 新成小学校の新築落成(足田・郡山・高尾田の三校舎が合併)。 |
明治32年 | 1899 | (4月) 秋田県立図書館の開館。 (5月) 西馬音内で佐藤信淵翁五十年祭を盛大に行う。 土館・郡山間の新道が開通。 凶作(長雨・大雨・洪水)。 |
明治33年 | 1900 | (1月) 耕地整理法施行。 (5月) 清国に出兵(北清事変)。 (10月) 仙道小学校の新築落成。 |
明治34年 | 1901 | (8・9月) 赤痢発生、飯沢・仙道・明治に隔離病舎を開設。 |
明治35年 | 1902 | (4月) 飯沢分教室が独立し、飯沢小学校となる。 (5月) 田代小学校の新校舎落成移転。 (6月) 杉宮・大久保・貝沢の三校が合併し、三輪小学校となる。 暴風で西馬音内堂庭の社堂が倒壊。 |
明治36年 | 1903 | (2月) 上仙道分教室が独立し、上仙道小学校となる。 西馬音内町立書籍従覧所開設。 新成村の福田野に隔離病舎を新築。 (4月) 小学校国定教科書の使用開始。 (12月) 三輪小学校の新築落成。 |
明治37年 | 1904 | (2月) 日露戦争が始まる。 (8月) 元西馬音内小学校の新築落成。 (11月) 国民兵を召集。 煙草の専売を実施。 日露戦争戦没者33名(西馬音内2、三輪1、新成7、明治3、元西7、田代8、仙道5)。 |
明治38年 | 1905 | (6月) 塩の専売を実施。 (9月) 日露講和条約締結。 奥羽本線が全線開通。 |
明治39年 | 1906 | 足田道(西馬音内・新成間) が完成。 |
明治40年 | 1907 | 恐慌、各地の銀行が支払停止。 (2月) 湯沢銀行(現在の秋田銀行)西馬音内支店が開業。 軽井沢小学校の開設。 この頃より馬耕が行われる。 |
明治41年 | 1908 | 新成福田野を開墾。 |
明治42年 | 1909 | (4月) 種痘法の公布。 明通小学校の開設。 (10月) 明通小学校の新築落成。 西馬音内・湯沢間に駅馬車が営業。 |
明治43年 | 1910 | (1月) 一町村一社を目的に神社の合併を勧奨。 (3月) 地租条令の改正。 (4月) 米穀検査規則の施行。 (6月) 3日、西蔵寺が落雷により焼失。 帝国在郷軍人会・帝国農会が創立。 |
明治44年 | 1911 | (7月) 明治小学校の新築落成。 (8月) 赤痢流行。 凶作(稲熱病)。新成村の例(皆無19%、九割減13%、八割減15%、七割減19%、六割減7%、五割減10%)。南京米が一升・17銭。不景気のため北海道へ出稼者多数。 (11月) 飯沢小学校の新築落成。 (12月) 改正市町村制の公布。 |
明治45年 | 1912 | (7月) 明治天皇崩御。 |
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