西馬音内盆踊りの起源・沿革については記録されたものが全くないため、すべて言い伝えによるものです。
最も古い起源としては、鎌倉時代の正応年間(1288~93)に源親という修行僧が蔵王権現(現在の西馬音内御嶽神社)を勧請し、ここの境内で豊年祈願として踊らせたものという説があります。
これに、関ヶ原の戦いで敗れ慶長6年(1601)に滅んだ西馬音内城主小野寺一族を偲び、土着した臣下たちが宝泉寺(西馬音内寺町)の境内で行った亡者踊りがいつの頃からか合流したと言われています。
また、踊りの場所が現在の西馬音内本町通りに移ったのは天明年間(1781~1789)の頃だと伝えられています。
西馬音内御嶽神社
西馬音内盆踊りは、先祖供養や豊作祈願の思いはもちろんのこと、日々の酷しい労働や生活から解放される、年に一度の盛大な娯楽イベントとして住民に長く親しまれてきました。
しかし、そんな西馬音内盆踊りに大きなターニングポイントが訪れます。
昭和10年(1935)4月、日本青年館主催の「第9回全国郷土舞踊民謡大会」へ東北代表としての出演が決定したのです。
これは、踊り手と囃子方が町の代表として東京で出張公演するということで、当時では非常に画期的な事業であり、町をあげての大きな取り組みが行われました。
この中で中心的な役割を果たしていったのが、当時の町長夫人であった柴田サト(里子)さんをはじめとする多くの西馬音内の女性たちでした。
彼女たちは、伝統的な踊りの振り付けを学び直し、ほとんど自己流になりつつあった振りを再構成して集団でも映えるように統一しました。
また、踊りの衣装も端縫いと編み笠、藍染浴衣と彦三頭巾にそろえ、細かい配色や染め方の方法なども指導したり、それまでは太鼓と笛だけだった囃子方に三味線や鼓、鉦を加えてよりリズミカルにしたりと、「見せるための踊り」としての形を熱心に追求していきました。
これにより、多くの観衆を惹きつける現在の西馬音内盆踊りの基本形が完成し、知名度も全国へ広がっていきました。
「第九回全国郷土舞踊民謡大会」での舞台(日本青年館・1935年)
その後、西馬音内盆踊りは敗戦の影響で昭和20年に一度中止されたものの、戦没者への慰めの思いや住民の熱意によって翌年にはすぐに再開されました。
また、昭和22年には、戦後の混乱の冷めやらぬなかでも、自分たちの手で伝統を保存・伝承していこうと「西馬音内盆踊保存会」が結成され、後進の育成や全国各所での公演活動を続けています。
昭和46年11月には、文化庁長官より「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に指定され、同12月には県の教育委員会より「秋田県無形文化財」の指定を受けました。
そして、昭和56年1月21日、盆踊りとしては全国初となる国の重要無形民俗文化財に指定され、現在では徳島の「阿波踊り」、岐阜の「郡上おどり」と並んで日本三大盆踊りのひとつに称されるまでになりました。
西馬音内盆踊りの振りは、「音頭」と「がんけ」の2種類で構成されています。
「音頭」は、優雅で静かな抑揚のある踊りが特徴です。
江戸時代の西馬音内の町は、北前船によって京都・大阪と経済的につながっていたため、その文化的影響が及んでいると考えられています。
振り付けは微妙に異なる1番と2番とがあり、交互に繰り返して踊られます。もう一方の「がんけ」に比べると覚えやすく、初心者向けであり、子供が最初に習う振りでもあります。
「がんけ」は、「音頭」に比べて踊りのテンポが速いのが特徴で、少し難易度の高い踊りです。
名前の由来は、月光の夜を飛ぶ雁の姿を連想した「雁形(がんけい)」、仏教の布教活動を意味する「勧化(かんげ)」、現世の悲運を悼み来世の幸運を願う「願生化生(がんしょうけしょう)」など諸説あります。
こちらも振り付けは2種類あり、特に2番の輪を描くように横に1回転する動きは「輪廻転生」を意味するとも言われ、亡者踊りと称される所以でもあります。
西馬音内盆踊りを踊る際の服装は「端縫い(はぬい)衣装」と「藍染め(あいぞめ)浴衣」です。
「端縫い」は、4~5種類ほどの絹布を左右対称にパッチワークのように組み合わせて縫った着物で、布を接ぎ合わせることから「接ぎ(はぎ)衣装」とも呼ばれる女性専用の衣装です。
大切に保管してきた古い絹布を使い、図柄や配色にこだわって作られた芸術的なこの衣装は、「踊りが上手になった」と家族や周囲から認められて初めて「着ることを許される」格式の高いものです。
「藍染め」は、男女兼用の衣装で、その多くは秋田県南部の伝統的な染技法を用いて手絞りで作られています。もともと「端縫い」を作ることができたのは旧家など裕福な家柄の人だけで、「藍染め」こそが最もポピュラーな衣装でした。
使い込むほどに味が出るこの衣装は、「端縫い」の絢爛さとはまた違う洗練された美しさをもたらします。
また、西馬音内盆踊りの衣装に欠かせないもう一つの特徴が「編笠」と「彦三(ひこさ)頭巾」の被り物です。
「編笠」は、一般的な半月型より前後の端が大きく反った形をしているのが特徴で、顔が見えないよう目深に被って笠の前後を赤い紐や布でとめます。
端縫いでも藍染でも着用でき、襟元からのぞく首すじが美しく浮かび上がります。
「彦三頭巾」は、目元に穴の開いた袋状の覆面を頭から被って鉢巻をしてとめるのが特徴です。
農作業用の日除け・虫除けの黒布からきたものだとか、歌舞伎の黒子からヒントを得たとか由来は定かではありませんが、亡者踊りとも称される特異な雰囲気を醸し出し見る者を魅了します。
彦三頭巾をするときは藍染を着用します。
お囃子は、寄せ太鼓、音頭、とり音頭、がんけの4つの種類があります。
「寄せ太鼓」は、盆踊りの前奏としてみんなに集合を呼びかけるために演奏されます。小気味よい太鼓の連打と甲高く響く笛の早いリズムが会場の雰囲気を盛り上げる勇ましい演奏で、踊りが終わった最後の締めにも流されます。
「音頭」は、踊りのための演奏で地口(じぐち)と一緒に囃されます。最初の2小節で囃子方が声を合わせて導入し、3小節目から踊りに入ります。以降は地口を伴って6小節のフレーズが繰り返し演奏されます。
「とり音頭」も地口と一緒に囃される踊りのための演奏で、音頭の終了の区切りから前奏なく直接入っていきます。ここでは笛が主役となって哀調と高揚感のあるメロディが奏でられ、24小節が1フレーズとなって展開されます。1度の演奏の中で音頭からとり音頭へ、とり音頭からまた音頭への移行が幾度か繰り返されます。
「がんけ」は、緩やかな調子で甚句(じんく)が唄われる演奏です。音頭とは対照的に曲調の変化には乏しいですが、落ち着いた雰囲気を漂わせて哀調を響かせます。踊りの最後はがんけで締められる決まりで、本番の終了間近にはテンポに大幅な緩急がつけられ、踊り手たちとの駆け引きが会場を盛り上げます。
楽器の編成は、笛、三味線、大太鼓、小太鼓、鼓(つづみ)、鉦(かね)などです。これに地口・甚句の歌い手が加わります。
笛と三味線は複数人で、それ以外の楽器は1名ずつ担当します。歌い手が鼓や鉦を兼ねることもあります。
西馬音内盆踊りの本番では、囃子方は特設の櫓の上に陣取り、浴衣に肩衣(太鼓打ちはたすき掛け)をして全員が鉢巻姿で演奏します。
本番での櫓の様子
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