西馬音内盆踊りの歌詞は、音頭のときに歌われる「地口(じぐち)」と、がんけのときに歌われる「甚句(じんく)」の2種類があります。
もともと「地口」とは、秋田県南部で使われる秋田音頭のはやし言葉を意味する単語で、西馬音内盆踊り固有のものではありません。
様式についても、秋田音頭とは違って前口上にあたる部分がないという多少異なった点はありますが、基本的に「8、8、9、8、8、9」の6句からなる節回しのルールは共通です。
その内容は、口から出放題の即興的なものから、野手情緒あふれるもの、ユーモアに富んだ笑い話、世情への風刺や権力層へのささやかな皮肉、農民特有の素朴なエロティシズムを匂わせるものなど、多彩な性格をあわせもっています。
文句の一つひとつは、年に一度の無礼講の場において、人々の熱狂の中から瞬間的に生まれてはまた消えていく流動的なものも多かったようですが、中には
「おら家(え)のお多福ぁ めったにない事 びん取って髪結った お寺さ行ぐどって そば屋さ引っかがって みんなに笑われた」
という古くから唄われ続けているものもあります。
これは、地理的に近い平鹿郡植田村(現横手市)でかつて踊られていた「植田盆踊り」の記録にも残されていて、当時の流行であったものが今でも名残をとどめている例です。
現在唄われているものの多くは、昭和6年に地元の「若返り」酒造会社が、また昭和10年に羽後銀行西馬音内支店が西馬音内盆踊りの発展向上をねがって懸賞募集したときの入選句です。
中でも最も象徴的な地口である
「時勢はどうでも 世間はなんでも 踊りこ踊たんせ 日本開びゃく 天の岩戸も 踊りで夜が明けた」
は、昭和6年のときに一等賞を得た矢野泰助氏(西馬音内本町・当時31歳)の作品です。
彼は自作農の三男坊で、俳句をよくし、俳誌の編集人を務めたこともある優れた文学青年でした。
甚句は日本民謡の伝統的な形式で、「7、7、7、5」の4句で詩が構成されます。
地口と同様に歌詞を懸賞募集(昭和6年、昭和10年)するまでは、秋田甚句のまがいものや遠島甚句、酒屋唄などが唄われていました。
募集によって入選した作品の多くは情緒豊かで格調の高いもので、冗談めかした陽気な雰囲気の強い音頭の地口とは対照的に、がんけの踊りに味わい深い芸術性をもたらします。
昭和6年の募集で地口の一等を取った矢野氏は、甚句の部門でも1位を獲得し、その秀作は現在でも代表的なものとして唄われています。
「お盆恋しや かがり火恋し まして踊り子 なお恋し」
「月は更けゆく 踊りは冴える 雲井はるかに 雁の声」
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