昭和の時代

昭和の時代
年号 西暦 事項
昭和元年 1926 改元。
湯沢警察署西馬音内分署が西馬音内警察署となる。
昭和2年 1927 (3月) 金融恐慌が起こる。
(5月) 中国山東省に出兵。
昭和3年 1928 (2月) 第一回普通選挙の実施。
(3月) 西馬音内郵便局で加入電話交換を開始。
(5月) 10日、西馬音内大火、本町下・裏町116戸を焼失。
(8月) 雄勝鉄道、湯沢・西馬音内間が開通。
(11月) 仙道小学校の新築落成。
昭和4年 1929 小作争議が各地に起る。
(4月) 三輪郵便局が開局(電信・電話取扱は10年4月)。
昭和5年 1930 (1月) 金の輸出解禁。
(4月) 米・英と海軍軍縮条約。
(5月) 仙道郵便取扱所を設置。
(10月) 第二回国勢調査。
(11月) 仙道小学校上仙通分教場の新築落成。
昭和6年 1931 (1月) 日本農民組合の結成。
(9月) 満州事変勃発。
(12月) 金の輸出再禁止。
昭和7年 1932 (1月) 上海事変勃発。
(2月) 仙道郵便局の開局。
NHK秋田放送局の開局。
(3月) 満州国の建国宣言。
(5月) 五・一五事件。
救農土木工事が始まる。
昭和8年 1933 (3月) 国際連盟を脱退。
米穀統制法の公布。
(8月) 西馬音内小学校の全校舎が焼失。
昭和9年 1934 (5月) 西馬音内小学校の新築落成。
(9月) 西馬音内公益浴場開設。
(11月) 東北地方が冷害、大凶作。
(12月) ワシントン軍縮条約破棄を米国に通告。
昭和10年 1935 (2月) 雄勝鉄道が梺まで延長。
(4月) 西馬音内盆踊「全国郷土舞踊民謡大会」出場(日本青年館)。
(10月) 全国各地に青年学校を開設。
昭和11年 1936 (1月) ロンドン軍縮会議脱退。
(2月) 二・二六事件。
(5月) 米穀自治管理法・重要肥料統制法の公布。
(6月) 西馬音内公益質屋開設。
仙道郵便局で電信電話取扱を開始。
昭和12年 1937 (7月) 日中戦争が始まる。
(11月) 日・独・伊で三国防共協定。大本営の設置。
西馬音内・仙道間でバスが運行。
昭和13年 1938 (1月) 軍需工業動員法の発動。
(3月) 国家総動員法の公布。
(5月) 県内の学校に勤労奉仕実施計画を通達。
(8月) 産業報国連盟の設立。
(11月) 西馬音内・田代間でバスが運行。
田代小学校の新築落成。
昭和14年 1939 (1月) 国民登録制の公布。
(7月) 国民徴用令の公布。
(9月) 新町郵便局の開局(電信・電話)。
秋田城跡、文部省により史跡指定となる。
(10月) 価格等統制令の施行。
昭和15年 1940 (8月) 日本農民組合の解散。
(9月) 日独伊三国同盟締結。
(10月) 大政翼賛会の発会。
昭和16年 1941 (1月) 農地価格等管理令の公布。
(2月) 米穀配給通帳制の実施(主食配給基準二合三勺)。
(3月) 国民学校令の公布。
(12月) 米国、英国に宣戦布告。
昭和17年 1942 (1月) 翼賛壮年団の創立。
(2月) 衣料・味噌醤油の切符制を実施。
大日本婦人会の創立。
(4月) 米空軍が日本本土を初空襲。
昭和18年 1943 (10月) 学生の徴.兵猶予を停止。
(12月) 徴兵適齢一年繰下げ(19才)。戦況が暗転す。
農業団体法の制定により農会・産業組合等が合併されて農業会(農民は強制加入、会長は官庁の任命) となり、農民に対して完全に国家統制を行う機関となる。
昭和19年 1944 (1月) 防空法による疎開命令。
(3月) 女子挺身隊の強化政策。
疎開転入者指導実施要綱の決定。
(7月) 学童の集団疎開実施。
(8月) 学徒動員令の実施。
昭和20年 1945 (3月) 空襲の激化。
(8月) 広島・長崎に原子爆弾が投下される。ソ連対日宣戦を布告。
ポツダム宣言を受諾。
15日、天皇「終戦」の詔を放送。
(9月) 降伏調印。連合軍総指令部を設置。
(11月) 兵役法の廃止。
(12月) 神道の特権を廃止。
労働組合法の公布。
選挙法の改正(婦人参政権)。
昭和21年 1946 (1月) 天皇、神格否定の詔書発布。
軍国主義指導者の公職追放。
超国家主義団体の解散指令。
(2月) 第一次農地改革を実施。
主要食糧に強権発動。
新円切り替え。
(4月) 総選挙(婦人参政権の初行使)。
(5月) 極東軍事裁判所の開廷。
(9月) 西馬音内に映画常設館開設。
(11月) 日本国憲法の公布。
(12月) 農地調整法の施行。
昭和22年 1947 (3月) 教育基本法、学校教育法の公布。
農地改革により七ヶ町村で計二、三八九町二反(全小作地の89.4%)の農地が解放された。
(4月) 学校教育法(六三三制)の実施。
各中学校(西馬音内・三輪・新成・明治・元西・田代・仙道) の創立。
労働基準法の公布。
(5月) 日本国憲法の施行。
(6月) 日本教職員組合の結成。
(10月) 国家公務員法の公布。
(12月) 警察法の公布。農業協同組合法の施行。
西馬音内・大沢間でバスが運行。
昭和23年 1948 (1月) 新民法の実施。
(2月) 食糧配給公団の発足。
(4月) 田代公民館の設置。
新制高等学校の発足。
田代小学校上到米分教場が上到米小学校となる。
(5月) サマータイム制の採用。
(6月) 県立湯沢南高等学校定時制西馬音内分校の開設(普通科・家庭科を設置、西馬音内小学校を教場とする)。同田代分校の開設(農業科を設置、田代中学校を教場とする)。
(7月) 教育委員会法の公布。
国民の祝日を決定。
(8月) 農業会の事業停止、各町村に農業協同組合設立。
(9月) 西馬音内に自治体警察設置。
(10月) 秋田県教育委員会の発足。
(11月) 西馬音内中学校校舎の新築落成。
昭和24年 1949 (1月) 飯塚定輔氏、衆議院議員に当選。
(3月) 元西馬音内村役場が焼失、記録文書全焼す。
(4月) 家庭裁判所の発足。
県立湯沢南高等学校定時制仙道分校を開設(農業科・家庭科設置、仙道小学校を教場とする)。
(6月) 社会教育法の公布。
病院開設の認可。
(10月) 元西馬音内村役場新庁舎が落成。
昭和25年 1950 (1月) 地方政治が軍政より離れる。
年令を満で数えることを実施。
(2月) 元西馬音内郵便局の開局。
(3月) ユネスコ加入。
(6月) 朝鮮動乱勃発。
長谷山行毅氏、参議院議員に当選。
(8月) 警察予備隊設置法の公布。
太刀銘正恒が国の重要文化財(工芸) に指定。
(10月) 公職追放の第一次解除。
昭和26年 1951 (2月) 地方公務員法の公布。
(3月) 三輪中学校校舎の新築落成。
(4月) 県立湯沢南高等学校定時制三輪分室を開設(普通科・家庭科設置、三輪中学校を教場とする)。
(5月) 児童憲章の宣言。
(6月) 西馬音内公民館の設置。
(8月) 公職追放の第二次解除。
(9月) 対日講和条約・日米安全保障条約の調印。
西馬 音内自治体警察を廃止。
(10月) 仙道公民館の設置。
元西中学校校舎の新築落成。
(11月) 明治中学校校舎の新築落成。
(12月) 県立湯沢南高等学校定時制三輪分室が分校に昇格する。
昭和27年 1952 (2月) 日米行政協定。
新成公民館の設置。
(4月) 元西公民館の設置。
(7月) 住民登録の実施。
(10月) 警察予備隊を保安隊に改組。
飯塚定輔氏、衆議院議員に当選。
(11月) 本尊阿弥陀如来が県の有形文化財(彫刻)に指定。
(12月) 田代中学校・仙道中学校校舎の新築落成。
昭和28年 1953 (2月) NHKテレビ放送の開始。
(4月) 飯塚定輔氏、衆議院議員に当選。
三輪公民館、明治公民館の設置。
(7月) 防衛庁設置法、自衛隊法の施行。
(9月) 町村合併促進法の公布。
(10月) 三輪・十三本塚が県の史跡に指定。
(11月) 新式中学校校舎の新築落成。
ラジオ東北放送開始。
昭和29年 1954 (1月) 憲法擁護国民連合会の発足。
雄勝西部七ヶ町村長、合併の可能性につき会合(2月以降数回)。
(3月) 三輪神社本殿及び境内社須賀神社本殿が国の重要文化財(建造物) に指定。
(6月) 西部地区町村合併促進調査委員会の発足。
(10月) 軽井沢小学校校舎の新築落成。
昭和30年 1955 (1月) 政府、米の予約買付制を実施。
(2月) 七ヶ町村が合併決議、廃町村の決議。
(4月) 西馬音内町、三輪村、新成村、明治村、元西馬音内村、田代村、仙道村の一町六村が合併し、羽後町が誕生。初代町長に菊池時之助氏が就任。
田代小学校と田代中学校が校舎を交換し、移動。
軽井沢中学校の創立。
(10月) 第八回国勢調査。
(12月) 町立羽後病院が発足。
昭和31年 1956 (1月) 西馬音内上川原に羽後町役場新庁舎落成(木造モルタル二階建て、一部鉄筋コンクリート)。
(10月) 新教育委員会法の施行。
雄物川町及び十文字町の各一部を本町に編入し、面積229.1平方粁。人口28,791。戸数4,533となる。
(11月) 町職員の整理(55歳以上の者、39名が勧奨退職)。
(12月) 日本が国際連合に加盟。
昭和32年 1957 (2月) 元西・御嶽神社の板碑三基が県の有形文化財(考古資料) に指定。
(4月) 県立湯沢南高等学校定時制田代分校に家庭科を設置。
うご広報第一号の発行。
(5月) 八郎潟干拓事業所の発足。
蒲田山十三森の発掘調査。
町内初の舗装道路が完成(西馬音内本町通り)。
(6月) 各地区の農業委員会を統合、羽後町農業委員会が発足。
飯沢、赤沢両部落に町内初の農村公衆電話を設置。
(7月) 原水爆禁止羽後町協議会を設立。
(8月) 秋田県庁が焼失。
上梺寺坊址の調査、板碑二基(元徳・応永) を発見。
(9月) 羽後町新町建設審議会の発足。
(10月) 羽後病院に小児科新設、休診中の三輪診療所を再開。
(11月) 羽後町体育指導委員会の発足。
(12月) 百円硬貨の発行。
昭和33年 1958 (2月) 西馬音内農業協同組合で有線放送を開始。
西馬音内・御嶽神社の板碑一基(光明真言碑) が県の有形文化財に指定。
(3月) 全日本農民組合連合会の発足。
(4月) 県立湯沢南高等学校定時制西馬音内分校と同三輪分校が合併し、県立羽後高等学校となり、仙道分校と田代分校は羽後高等学校の所管となる。
町立図書館の開設。
(5月) 飯塚定輔氏・衆議院議員に当選。
(7月) 秋田城跡の発掘調査。
(8月) 西馬音内小学校にプールが完成(長さ20メートル、幅10メートル、ビニール製)。
(9月) 岩土山で火葬墓を発見。
(10月) 町のシンボル「町章」の制定。
(11月) 羽後町国民健康保険事業を開始。
西馬音内城(二の丸) 址の実測調査。
(12月) 町営貝沢簡易水道が完成(給水戸数は102戸)。
一万円札の発行。
昭和34年 1959 (1月) 新国民健康保険法の施行。
メートル法実施。
新処土地改良区の発足(区画整理の目的では町内初)。
(4月) 国民年金法の公布。
菊池時之助町長が無投票で再選。
町視聴覚ライブラリーの設置。
(6月) 参議院議員選挙。
新成小学校でテレビ教育実施(郡内初)。
(8月) 第一回家畜品評全開催。
(11月) 秋田県章・県旗の制定。
(12月) 秋田県庁が現在地に落成(秋田市山王)。
NHK秋田放送局がテレビ放送を開始。
昭和35年 1960 (2月) 元西中学校の雨天体操場が雪のため倒壊。
(4月) 県立羽後高等学校の家庭科が全日制になる。
秋田放送テレビ本放送を開始。
(6月) 日米安全保障条約及び行政協定の改定。
道路交通法公布。
(7月) 秋田城跡の発掘調査。
国勢調査の人口、羽後町27,714人。
町営住宅の建設に着手(三輪10戸、新成10戸)。
(9月) カラーテレビ本放送の開始。
(11月) 飯塚定輔氏、衆議院議員に当選。
(12月) 政府「国民所得倍増計画」を決定。
昭和36年 1961 (6月) 農業基本法の制定。
羽後町商工会の設立(会員240人)。
(7月) 秋田城跡の発掘調査。
松倉ダムが完成(貯水量55万トン)。
(9月) 秋田空港の開港。
(10月) 秋田県で第16回国体開催。
(11月) 西馬音内保育所の開設。
足田遺跡(推定雄勝城跡) の発掘調査。
昭和37年 1962 (1月) 雄勝城趾顕彰促進会の発足。
(2月) 農林業就業者は全人口の三割を下まわる(統計局)。
(3月) 町内初の石油ボーリング調査(堀内字堀内山)。
(4月) 羽後町郷土史編纂委員会の発足。
(5月) 足田遺跡の発掘調査。
(7月) ヘリコプターによる町内初の薬剤散布(平坦部2,200ヘクタール)。
(9月) 県立羽後高等学校の体育館が完成。
昭和38年 1963 (1月) 北陸地方を中心に大雪。
(2月) 日ソ貿易協定に調印。
上仙道小学校で完全給食を開始(町内初)。
(4月) 国の重要文化財三輪神社、須賀神社の保存修理完了。
町長選で佐藤善三氏が当選、第二代町長に就任。
(5・6月) 五把出山・縄文遺跡の発掘調査。
(7・8月) 足田遺跡の発掘調査。
(9月) 国民健康保険明治診療所の開設。
(10月) 原子力発電に成功。
県立羽後高等学校高瀬分校校舎竣工。
冷害で水稲が戦後最低の作柄(作況指数88)。
(11月) 三輪保育所の開設。
(12月) 町営西馬音内簡易水道が完成(給水対象は西馬音内町部の約1,000戸)。
昭和39年 1964 (5月) 西馬音内盆踊りが大阪芸術祭「日本郷土芸能大会」に出演。
(6月) 16日、新潟地震。県内の被害(死者4名、羽越線不通、八郎潟堤防地割れ)。
秋田市に八郎潟干拓事務所の開設。
(8月) 西馬音内小学校にコンクリート製プールが完成(長さ25メートル)。
(10月) 東海道新幹線が開業。
第18回オリンピック東京大会開催、九四ヵ国が参加。西馬音内盆踊り「東京オリンピック芸術展示」に出場(東京文化会館)。
新成児童館の開設。
(11月) 仙道保育所の開設。
仙道番楽が県の無形民俗文化財に指定。
昭和40年 1965 (1月) ブルドーザーによる町道の除雪を試験的に実施。
(6月) 田代・仙道地区に稲を食い荒らすマイマイガが大発生(水田の20%に被害)。
(7月) 羽後町米価対策協議会を結成。
昭和41年 1966 (3月) 田沢地区で出土した古鏡二面が県の有形文化財に指定。
NHK県内カラーテレビ放送開始。
羽後町郷土史の発行。
(4月) 西馬音内と三輪の一部でゴミの収集を開始。
(6月) 国民の祝日法改正の公布(敬老の日、体育の日を新設)。
(8月) 飯沢に羽後病院の出張診療所を開設。
夏の成人式を初めて開催。
(11月) 除雪専用ブルドーザーを購入して町道の本格的な除雪に着手。
羽後病院の改築工事が完成。
昭和42年 1967 (1月) 明治児童館の開設。
(4月) 町長選で佐藤吉郎氏当選、第三代町長に就任。
西馬音内地区青少年保護育成委員会の発足。
(5月) 県立美術館の開館。
(7月) 西馬音内佐藤信淵文庫の再建。
(11月) 米が町史上最高の豊作。
町の木は「梅」と決定。
明治小学校校舎の改築竣工。
昭和43年 1968 (4月) 羽後病院の四階部分を増築。
秋田指月電機株式会社が操業開始(町内初の誘致企業)。
三輪小学校校舎の改築竣工。
羽後町教育振興協議会の発足。
(5月) 飯沢児童館の開設。
永久橋・柳田橋が完成。
(7月) 郵便番号制の実施。
(8月) 新成地区に農村集団自動電話が開通(郡内初)。
(12月) 羽後町明治百年記念祭の開催。
昭和44年 1969 (1月) 五輪坂スキー場が完成。
(2月) 給食センターが完成。
(3月) 八郎潟干拓完了記念式典の開催。
羽後町中央公民館の開設。
(4月) 三輪地区に農村集団自動電話が開通。
(5月) 元西保育所の開設。
東名高速道路、全面開通。
(7月) アメリカ・アポロ十一号が初の月面着陸。
(8月) 金剛童子線刻像・土師骨蔵器・黒漆金箔押机の三点が県の有形文化財に指定。
羽後町合併十五周年記念祭の開催。
羽後町民歌の制定。
(10月) 横根峠の改修完了(幅員5メートル、自動車通行可能)。
秋田テレビ放送開始。
(11月) 第一回羽後町文化功労者表彰。
昭和45年 1970

(2月) 第一回羽後町季節労務者東京集会を開催。
(3月) 日本万国博覧会を大阪で開会。
(4月) 西馬音内にアーチ型永久橋・二万石橋が完成。
(5月) 田代へき地保育所(田代保険福祉館) の開設。
羽後町季節労務者互助会を設立。
(6月) 湯沢雄勝広域市町村圏組合の発足。
(7月) 文化財愛護モデル地区に指定。
(10月) 西馬音内の学校橋が完成。
(11月) 嶋田新田地区農業構造改善事業が完成。

昭和46年 1971 (1月) 仙道・小森出山にリングバーリフト付きスキー場が完成。
佐藤信淵の自筆本など二〇点が県の有形文化財(書籍、古文書等) に指定。
(3月) 西馬音内電報電話局が開局(電話は申し込み即時通話からダイヤル直通に)。
(4月) 柏原分譲地の造成に着手(同時に分譲も開始)。
佐藤吉郎町長が再選。
羽後町土地改良区が発足。
(11月) 羽後町納税貯蓄組合連合会を設立(158組合が参加)。
西馬音内の盆踊が国の記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財として指定。
(12月) 西馬音内盆踊が県の無形文化財に指定。
昭和47年 1972 (2月) 第十一回冬季オリンピック札幌大会の開催。
(4月) 羽後中学校が発足。
仙道生活改善センターが完成。
(7月) 湯沢雄勝広域市町村圏組合消防署羽後分署が業務開始。
第一回羽後町社会福祉大会の開催。
公害対策協議会が発足。
(8月) クレー射撃場(太平山)が完成。
(10月) 泉沢の6戸が集団移転。
昭和48年 1973 (2月) 鈴木家住宅が国の重要文化財(建造物) に指定。
(3月) 羽後交通雄勝線が廃線。
第一回羽後町季節労務者名古屋集会の開催。
(5月) 朝日町と西馬音内駅跡の住宅用地の分譲を開始。
(8月) 秋田地方法務局西馬音内出張所を廃止。
(10月) 石油危機発生。
(11月) 三輪公民館が完成。
羽後町統計調査員協議会を設立。
太平山憩いの森が完成。
昭和49年 1974 (1月) 豪雪(気象観測史上、記録的な大雪)。
(3月) 鳥海山が噴火。
塩出山町営住宅の建設。
第一回羽後町生涯教育推進大会の開催。
(6月) 総合検診事業を開始。
(10月) 猿倉人形芝居が県の無形民俗文化財に指定。
湯沢雄勝広域市町村圏組合総合体育館が完成。
(11月) 上水道第一期工事が完成し、給水を開始。
昭和50年 1975 (4月) 羽後中学校校舎が完成し、西馬音内・新成・明治・元西の四中学校が実質統合。
新成小学校が旧新成中学校校舎に移転。
県立羽後高等学校高瀬分校が定時制を廃止、全日制を設置。
佐藤吉郎町長が三選。
(5月) 県立博物館の開館。
(6月) 七曲峠全面舗装となる。
(8月) 元西小学校が旧元西中学校校舎に移転。
(9月) 西馬音内口番所址が町の史跡に指定。
西馬音内小学校が旧西馬音内中学校校舎に移転。
(11月) 奥羽本線が全線電化。
昭和51年 1976 (2月) 第一回町民スキー大会開催。
(7月) 老人憩いの家の竣工。
(8月) 真坂峠の改良工事が完成。
(9月) 大谷地に稲わらキューブ生産工場が完成。
(11月) 元西総合センターが完成。
刈女木湿原が県の環境保全地域に指定。
昭和52年 1977 (12月) 新成公民館が完成。
五輪坂ハイツが完成。
元西小学校の新校舎落成。
昭和53年 1978 (3月) 特別養護老人ホーム「松喬苑」が完成。
県立羽後高等学校の定時制課程が廃止。
(5月) 第二十九回秋田県植樹祭を本町で開催。
成田空港の開港(新東京国際空港)。
(10月) 皇太子ご夫妻が来町し、松喬苑を視察。
西馬音内川の改修工事が完成。
(11月) 田代農村総合センターの竣工。
県内の電話100%自動化。
昭和54年 1979 (2月) 西馬音内小学校の新校舎落成。
(4月) 佐藤吉郎町長無投票で四選。
(9月) 羽後トンネルが開通。
(10月) 広域消防署羽後分署に救急車を配備。
(11月) 町民憲章を制定。
(12月) 仙道小学校の新校舎落成。
昭和55年 1980 (1月) 三輪中学校の校舎改築落成。
(4月) 羽後町が過疎地域に指定。
(9月) 日照不足・低温で水稲に深刻な被害。
(11月) 樹齢約1,200年の上到米・高橋の大杉を伐採。
昭和56年 1981 (1月) 西馬音内の盆踊が国の重要無形民俗文化財に指定。
(2月) 新成小学校の新校舎落成。
(4月) 西馬音内盆踊りがサンフランシスコ桜祭りに参加。
(6月) 新秋田空港の開港。
(8月) 田代地区で牛の三つ子誕生(町内初)。
(10月) 羽後町コミュニティセンターの完成(11月、開館)。
県埋蔵文化財センターの開設。
(11月) 岩本団地の分譲を開始。
昭和57年 1982 (2月) 東北電力(株)羽後変電所が長者森に完成。
(4月) 500円硬貨の発行。
(6月) 東北新幹線の開業。
(9月) 田代・仙道地区の県営ほ場整備事業の完成。
(10月) 鈴木家住宅の修復工事完了。
(12月) 羽後町商工会館の竣工。
昭和58年 1983 (1月) 上到米小学校の新校舎竣工。
(4月) 佐藤吉郎町長五選。
(5月) 日本海中部地震発生(町で被災地能代市へ給水車を派遣)。
(6月) 雄平地区県営ほ場整備事業及び雄勝西部広域農道整備事業の完成。
(10月) 雇用促進住宅羽後宿舎が完成。
昭和59年 1984 (2月) 町内の電話番号がニケタの市内局番になる。
(3月) 青少年育成羽後町民会議結成。
(9月) 金易二郎名誉九段(将棋)の頌徳碑を五輪坂に建立。
水稲新品種「あきたこまち」が登場。
(12月) 「非核平和の町」を宣言。
昭和60年 1985 (4月) 電電公社と専売公社が民営化、日本電信電話株式会社と日本たばこ産業株式会社の発足。
(5月) 軽井沢山村広場が完成。
(7月) 西馬音内盆踊りが「科学万博つくば」へ参加。
(8月) 第一回うご牛まつりを開催。
昭和61年 1986 (1月) 第一回ゆきとぴあ七曲を開催。
(3月) 黒沢家住宅が県の有形文化財(建造物)に指定。
(4月) 前郷神社本殿、西蔵寺山門、地蔵院鐘楼門、三輪神社鐘楼の四件を町の有形文化財(建造物)に指定。
(7月) 活性化センターが完成。
(10月) 最後の鷹匠・武田宇市郎氏が廃業宣言。
(11月) 県立羽後高等学校新校舎が完成。
昭和62年 1987 (3月) 首都圏羽後町会が発足。
(4月) 町長選で柴田英一氏が当選、第四代町長に就任。
日本国有鉄道が分割民営化、JRグループ六社の発足。
(8月) 町内で集中豪雨のため、大きな被害(田代・仙道地区を中心に約10億円の被害)。
(12月) 田代保育所の竣工。
昭和63年 1988 (3月) 青函トンネル開通。
五輪坂の県営農地開発事業が完成。
農業振興シンポジウムを開催。
県立羽後高等学校高瀬分校が閉校。
西馬音内城跡が県の史跡に指定。
羽後町観光物産協会の設立。
(6月) 西馬音内字中野に羽後町役場新庁舎が完成し、移転する。
川原田分譲宅地の分譲を開始。
(9月) 田代青年後継者会が東京で「嫁来いパレード」を行う。
(11月) NTT西馬音内が湯沢局に併合。
異常気象による冷害(羽後町作況指数83、被害額約10億円)。
昭和64年 1989 (1月) 昭和天皇崩御。

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