十三本塚は三輪中学校と三輪野球場の間にあり、天和2年(一六八二)5月の「貝沢村郷絵図」に、ほぼ大川に併行して南北に一線をなして13個の塚が連なって描かれている。
しかし、1号墳から5号墳までは明治40年代(一九〇七~十二)までに破壊され、6・8~13号墳は、昭和28年(一九五三)頃までに破壊され、10号墳は、昭和35年(一九六〇)運動場拡張工事前の発掘調査終了後に消滅し、現存するのは7号墳一基のみとなっている。
この十三本塚は、昭和27年破壊された9号墳では、墳中に少し大きい自然石があり、その下に一字一石の経石・宋銭・金片が出土したと伝えられ、10号墳は直径7~7・2・、高さ1・22・の円丘状で、調査の結果付近の地表の黒色腐植土で手軽に築造され、477個の一字一石経を埋納する火葬骨を伴った経塚で、火葬骨は容器に入れず微量で分骨したものとみられ、唐・宋銭13個が出土した。この、経塚は鎌倉時代に築造されたものと考えられる。昭和28年10月に県指定史跡に指定。
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